大判例

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神戸地方裁判所 昭和25年(タ)11号 判決

原告 小田美代子

被告 小田和夫

一、主  文

原告と被告とを離婚する。

原、被告の長男小田晴夫の親権者を原告とする。

訴訟費用は被告の負担とする。

二、事  実

原告は、主文と同じ判決を求め、その請求原因として次のように述べた。

原告は昭和二十二年三月六日被告と結婚式を挙げて事実上の夫婦となり、昭和二十三年四月二十八日には正式な婚姻届出をした。なおその間昭和二十三年四月二十四日には原被告間に長男晴夫が生れている。然し原告は今となつては、被告との結婚を続けて行くことができない。というのは、まず、原、被告は結婚式を挙げる頃、住宅難で新居とする家がなかつたので、当分各その実家に居住し、できるだけ速かに住居を求めて同居することを約したのであるが、被告は約に背いて、今日に至るまで住居を求めないので、終に原告は被告と別居のまま終始せざるを得ない状況なのである。

つぎに、被告は結婚直後の昭和二十二年四月から神戸市立花園中学校に教師として勤務し、その後神戸市立湊高等学校夜間部教師となり、毎月相当額の給料手当の支給を受けながら、昭和二十四年四月一日以降は原告や、原告が養育している長男晴夫の生活費を全く支給しないので、原告等はやむなく実家の扶養を受けて暮している。察するに、被告はその受けた給料家族手当を自分の学資にあて(被告は前記夜間部教師となつてからは、晝間は大阪歯科医科大学に通学しているのである)かくて、原告母子を路頭に迷わせて顧ないのである。すなわち、被告は正に原告等母子を惡意で遺棄したものといえるし、そうでないとしても、原告は被告との右のような状態での結婚をこれ以上継続して行くにたえないのであつて、婚姻を継続し難い重大な事由があるものとして離婚を求めるわけである。<立証省略>

被告は、「原告の請求を棄却する」との判決を求め、答弁として次のように述べた。

原告と被告が昭和二十二年三月六日結婚式を挙げて昭和二十三年四月二十八日婚姻届出をしたこと、昭和二十三年四月二十四日長男晴夫が生れたこと、住宅難で原告と同居できず、それぞれの実家で別居生活をして來たこと、被告が当初神戸市立花園中学校に勤務し、その後神戸市立湊高等学校夜間部教師となり、晝間は大阪歯科医科大学に通学していること、昭和二十四年四月一日以降原告に生活費を支給していないことは認めるが、被告は長男出生後間もなく、被告実家の中二階八疊の間に同居することを原告に求めたのに、原告はこれを拒み、またその頃神戸市須磨区板宿方面に六疊の間一室を間借できる見込がついたので、原告に同居を求めたところ、原告はこれも狹いといつて應じなかつたのであつて、別居の責は被告にない。原告が勝手に同居を拒んでいるのである。被告としては、原告が同居しさえすれば、これを養つて行くのにやぶさかではないのであつて、原告の請求は失当である。<立証省略>

三、理  由

一、原告と被告とが結婚した事情については、証人谷上三郎、小田武夫の証言、当事者双方本人尋問の結果と眞正に成立したものと認められる甲第一号証とによつて、次のようであつたと認められる。すなわち、原告は帝国女子薬学專門学校を卒業し、被告は関西大学を卒業して、いずれも昭和二十一年頃兵庫縣衞生部に勤務しているうち知合つて、相思の仲となり、相方の両親の了解もあつて結婚することとなり、昭和二十二年三月六日結婚式をあげたのであつた。ところが当時は終戰後の住宅難の時代で同棲する住居がなかつたので住居があり次第同居するという諒解の下に双方親の家に別居して互に訪ねあつて夫婦生活を営んでいたが、そのうち昭和二十三年四月二十四日には長男晴夫が生れ、おくれていた婚姻届も同月二十八日すませて、正式な夫婦となつたのである。

二、原告と被告との仲が次第に冷却していつたことについて、証人谷上三郎、小田武夫の証言、当事者双方本人尋問の結果と被告本人尋問の結果によつて眞正に成立したものと認められる乙第二号証、双方本人の供述により晴夫の産衣或はその着替へとして被告のおくつたものであると認められる檢甲第一、二、三号証檢証の結果とを総合すると、次のような事情が認められる。すなわち、原被告は結婚後それまで勤務していた兵庫縣衞生部を退き、原告は一時そごうの薬局に勤め、被告は神戸市立花園中学、ついで神戸市立湊高等学校夜間部の教師として勤務して、前記のように、夫婦としては不自然な別居生活を続け、またその間夫である被告は、妻がその親もとにいるためもあつて、特にその生活費を支給することもなかつたが、当初は、好きあつて一諸になつた仲でもあり、別居も双方諒解の上のことであつたし、原告の生活費のことも双方重視していなかつたので、さして互に不満なこともなくすごしており、やがて原告が長男晴夫を懐姙すると、被告は昭和二十二年十月頃から、毎月大体五〇〇円ほどを出産準備費として原告におくり、その出産に際してはその諸費用も大部分負担したのであつたが、被告が長男晴夫の産衣或はその着替として母に調製してもらつて原告方におくつた衣類(檢甲第一、二、三号証)が、すべて中古の仕立直し品であり、いかにも粗末な品物であつたところから、原告や、その父母は、被告がその愛兒や妻のためにさえ失費を惜しむような冷淡な慾深い人間なのだと思うようになり、それに、結婚以來一年にもなるのに、新居を求めないのも、原告に対する被告の愛情がうすく、家を求める努力をしないで、原告の扶養をその父母に押しつけて自分はその負担を免れようとしているのだと解釈するようになつた。殊に、原告の父はかねてから被告のやや明朗でなくはつきりしない性格にあきたりなく思つていた上に、ひとり娘である原告を愛するの余り被告の原告等に対する態度に理解と同情を欠き、その感情は惡化し、被告としては多からぬ收入のうちから、晴夫出生後は毎月二、〇〇〇円前後の扶養料の外、晴夫の衣食品などを翌年三月頃まで送つていたのに、それも極めて軽少で原告母子の生活を支えるに足らないものしか渡さないと思い、また、被告が、須磨区板宿の知人の離座敷六疊一室を間借できる見込がついたので、このことを傳えて原告との同居を申出た時も、これを拒絶してしまうなど、まず原告の父の被告に対する感情が冷いものとなつて行き、果ては激昂して被告を面罵するに至り原告も右のような空気の中で次第に結婚当初の被告に対する見込は違つていたと幻滅感をいだき、特にいわゆる見合結婚でなく愛情に結ばれて始つた結婚であるだけに右のようにその根底である被告に対する愛情を欠いた結果、当然この結婚持続に対する熱意を失い、從つて時折訪れる被告に対する態度も冷くなつて來たので、被告も自ら足が遠ざかり、昭和二十四年三月頃からは、全く原告宅へ行かず、原告に対する送金もその頃からやめてしまつたが、それに対して原告は被告に対し「送金してほしい、その後どうしているか」と手紙でいつてやつただけで、その返事がなくても、自ら被告方に出向いて直接面談し、二人の間を改善しようとすることもしなかつたので、終に原、被告間は絶縁状態となつてしまつた。なお、その後一年ほどたつて、原告は被告に対し、神戸家庭裁判所に調停を申立て、その際調停委員から、被告に対して、「今一度原告宅に行き從來とつた被告の態度につき謝つて復縁を計るように」との勧告がなされ、被告は復縁の機会を得たさにこれに從つて、原告宅へ謝りに行つたので、ここに円満解決の最後の好機が訪れたのであつたが、原告はすでに被告に対する愛情は全く失われており、被告との結婚持続の意図なく、原告やその父は、「今になつて謝りに來てももうおそい」と、被告の申出を一蹴してしまつたのであつた。

三、以上の事実に基いての裁判所の判断。まず、原、被告諒解の下に別居のまゝで始まつた結婚生活であつて見れば、当時のように(現在でもなおそうであるが)住宅の極めて拂底していた時代には夫婦の新居を求めることについては、被告が全責任を負う約があつたのでないし、双方が互に最善の努力をつくすのが当然で、その新居を求めるのに多少長い日月を要したからとて、この点について何等かの努力を拂つたことを認め得ない原告としては、強ち被告のみを責めるわけにはいかない。かえつて先に述べたように、被告は一應この点の努力をして六疊一室を借受けることとし原告側に申出たのに、原告側でこれを不十分としてことわつている。それはなるほど十分とはいえないかもしれないが、住宅不足の現状では必ずしも被告のむりな申出とはいえないのであつて、不便を忍んでも原告は同居に應ずべきであつたのである。次に、被告の扶養義務を履行しないという点であるが、これも前記のように、被告は長男晴夫の出生前後から約一年間毎月相当の金品を原告に與えているのであつて、それは、原告母子の生活を支えるに必ずしも十分であるとはいえないかもしれないが、被告の学校教師としての收入、別居生活等を考えれば特に扶養義務を怠つたともいえず、また昭和二十四年三月すぎから全く原告に扶養料を與えていないことも、さきに認めた事情から見て、その原因と責任の一半は原告にあるというべきである。

以上の事情と原被告間の夫婦関係が断絶するに至つた前記経緯とを合せ考へると、被告は原告を惡意を以て遺棄したとはいえない。だからそういう理由で被告に離婚を求めることはできない。

然しながら、原告は今や全く、被告に対する愛情を失い、被告との結婚生活の持続の意思なく、むしろ被告に対する嫌惡反感の念のみがその心を領しているのであつて、被告は未だこの結婚生活の持続に希望を捨て去つてはいないようであるが、これまでの経過や、双方当事者の性格から見て、それは將來ふたたび円満な関係に復帰できる見込はないと解される。もとより、このようになつた原因ないし責任は被告のみにあるといえないのは前述の通りであつて、その主な原因は、やはり、原、被告間にやむを得ず行われた別居生活であろう。けだし、それは、互に異つた生活と体驗とを持つて來た原被告が新たに夫婦としての共同生活を営むについて欠くことのできない、双方の性格と生活との十分な相互理解への最適な環境である家庭生活の実現を不可能にし、愛情を深め、おこるかも知れぬ誤解の溝を埋める機会を双方から奪つてしまつたからである。それ故に、その他被告の開放的でなく自己のうちにとじこもるといつた性格や、女として母としての原告の心情への理解の乏しさ(産衣の件に現れたような)等や、原告の側における同居できない夫婦生活や被告の性格に対する理解と同情をもたないやや軽卒な判断ないし誤解又は家庭生活建設への熱意の不足もこの結果に対する原因とはなつているが、原被告のいずれが、この結果について特に責任があるともいえないのであつて、ただその結果が原告の被告に対する愛情の喪失となつて現れたといえるだけである。

かくて夫婦の一方が、相手に対する愛情を全く失い、その結婚生活の継続を嫌惡するに至り、しかも將來も再び夫婦として結びつく見込がない場合、これを法律上の夫婦という名の下において結びつけておくことは不当であり不可能なことなのでもあるから、こうした事情もまた民法第七七〇條第一項第五号の定める離婚原因、すなわち婚姻を継続し難い重大な事由に当るというべきであつて、本件については右に述べたように、正にこの事情が存すると認められるので、原告の被告に対する本件離婚の請求はこれを認容する。

なお、原被告が離婚した後の長男晴夫に対する親権者を誰にすべきかを考えて見るに、原被告各本人尋問の結果から認められるように、晴夫は出生以來引続き母である原告のもとで養育されており、原告やその両親の晴夫に対する愛着は深く、將來もながくその手もとで育てたい希望をもつているのであるし、晴夫はまだ二年六月にみたない幼少の身であるので、同人に対する養育監護を含む親権は母である原告にこれを行わせるのが適当であると認め、この点について人事訴訟手続法第一五條を、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九條を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 石井末一 西川正也 北後陽三)

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